本文へスキップ

技術に裏付けさた納得の正しいカウンセリングを、手頃な価格でご提供!! (カウンセリング、ストレス研修、グループカウンセリング)

カウンセリング 各種研修
ご予約・お問い合わせは
 simon@ts-united.com

TEL.080-1145-4954

成長の軌跡 STORY15

自分のお話し(前半)

まず、このことをお話ししておく前に、両親の名誉の為、言葉を追加しておく。
私は、両親に愛情をもって育てられた。
両親は、私を養育し大学まで進学させるため人生のいろんなものを犠牲にして苦労してきた。
その感謝の気持ちは変わらない。
また、母親の不安定に触れているが、それは本当に私が幼児期から小学低学年までの
一時期の出来事であり、母親自身が仕事をもって社会に出るようになってから、
逞しくなり、安定したことをお伝えしておく。
そして、今両親は二人だけの家庭で、時々喧嘩しながらも仲良く暮らしている。

これから書くことは私が最近までそしてこれからも苦しむであろう、
「さみしさ」と「腹立たしさ」の原点を書いている。
両親との関係で幼児期に形成された「生き方のマニュアル」も書いてある。
私は、これからもカウンセラーとして多くの幼児期の心理形成のトラブルと
それが大人になっても影響していることに関して取り組むと思う。

虐待や、家族問題、夫婦の崩壊に晒された子供時代を送られた方は多いと思う。
そんな時、こんな小さな出来事でも大人になって、
コミュニケーションに影響があるということを
知ってもらえると、もっと素直に自分の過去に目を向けられると思う。

たいていは、家族の恥であり、秘密にしたい事ばかり。
その怒りは、「自分さえ我慢すれば」、「自分がしっかりすれば」、
「黙っていれば」と自分に抑え込まれた感情。

でも、自分の未来は、過去の縛りを見つめる事で解放される。
人間関係がうまくいかない理由は子供の頃の怒りやさみしさの再現かもしれない。
今でも過去の命令に縛られている人に自分の過去を直視できるようにエールを送りたい。

だから、まずは私からお話を始める。

一人で見つめるのが怖い人は、近くにカウンセラーがいれば一緒に行動してほしい。
もしカウンセラーが見つからなかったら、私が紹介したいと思う。
過去の束縛から自分の心を自由にする勇気を持ってほしい。
もし、あなたが勇気をもてるのなら、私に語ってもらって構わない。

たかあき君

たかあき君は、家族の愛情いっぱいに育てられた。
ただ、3歳くらいから7歳くらいまでのどの年齢かは定かではないが、
母親が精神的に不安定な時期があった。
その当時、母親は批判や否定されることにすごく恐怖と怒りを感じていた。
ご近所のママ友から悪口を言われたり、事実でないことをうわさされたりすることに
大きく傷つき、父親にヒステリックに話している姿を覚えている。
父親は、一人っ子で甘やかされて育ったようだ。
そんな父親は、ちょっとした噂話程度の人間関係で不安定になる母親にかなり戸惑ったと思う。
父親は、家に寄り付かなくなっていた。競艇やパチンコに行っていた。
母親の不安定はより一層強くなり、家族は崩壊する寸前だった。
たかあき君はそんな不安定な母親、未熟な夫婦関係の間でも
彼らの初めての子供として、愛をそれぞれから受けていた。

母親は、父親を否定し、私に時々当たるようになった。
そしていよいよ、家族は分裂しようとしていた。
この日の出来事は鮮明に覚えている。

父親に初めて尼崎競艇場に連れて行かれた日。
帰ると家に鍵がかかっていた。たかあき君も父親と一緒に締め出された。
たかあき君は子供心に、「捨てられた」と感じた。
父親の怒号で、しぶしぶ母親が鍵をあける、そして玄関をあけると、
父親は母を平手でおもいっきりぶった。
その夜、母親は荷物をまとめて出て行こうとしていた。
玄関口で、だかあき君は引き留めた、力いっぱい母親の腕を握りしめ、
大きな声で泣き叫んだ。
「いったらあかん。」「いったらあかん。」
母親はたかあき君を懸命に説得した。母親の身勝手な都合である。
夫に耐えられないから、去っていくことを理解させようとしていた。
たかあき君は手を離さず必死に叫んでいる。
「いったらあかん。」、「いったらあかん。」

いつの間にか、たかあき君は寝ていたらしい。
起きると、母親はそこにいた。父親もいた。
そして母親の両親も遠い広島から来ていた。
母親の両親がいると、母親は安定する。
父親にとっては苦しい現実だっただろう。

たかあき君は、家族がそろった平和に安心し、久しぶりに子供らしくいられた。
そこで交わされた大人の会話はあまり覚えていない。
おじいちゃんと遊んでいた。おじいちゃん、おばあちゃんは大好きだった。
そして、家族全員から「たかあきがいい子でいるから大丈夫」という話を受けた。
たかあき君がいい子でいることが、家族を壊さない事につながると教えられた。
おじいちゃんとおばあちゃんが帰る日、私は泣いた。
また家族が壊れるのが怖かった。

たかあき君はそれから、ますます子供らしさを失っていった。
「いい子でいて、この家族を守らなければいけない」からだ。
人前では駄々をこねることもめったにしない、おとなしい子供を演じた。
自分がいかにいい子か、自分がいかに出来る子かをアピールする事が大事だった。
本を沢山読んだ。勉強も沢山した。周りからの関心を引いた。
百科事典をほぼ丸ごと覚えた。小学校に入るまでに本はほとんど読めるようになっていた。
「私がいい子だったらこの家族は崩壊しない」必死で家族を守ろうとした。
「たかあき君はおとなしいねぇ。」周りの人からはそういわれていた。

それでも、母親は時々不安定になった。
たかあき君と母親は習字教室の帰りに病院に寄った。
墨汁のふたをきちんとしめていなかったので、墨汁で病院でソファーを汚してしまったのだ。
母親の一番嫌いな、「批判される、否定される」という事を引き起こしたのである。
先に家に帰されていたたかあき君が玄関を開けると、母の怒りのすべてが彼に向かった。
「ごめんなさい、ごめんなさい。」と泣きながら、殺されるかもしれないと感じた。
母親に恥をかかせてしまった私がいけなかったのだ。自分がいい子でいなかったから。

たかあき君は
「批判や否定される人になってはいけない。」
「周りからいい子だといわれ続けないと家族(大事なもの)を守れない。」
という命令を受け取って育った。

母親が安定した後も、たかあき君はいい子であるための人生を送っていた。
得られたものは自分にもいいものだったので、
この命令を問題にすることはなかった。

しかし、この命令には大きなコミュニケーション上の問題を抱えていたのである。(後半に続く

目次へ戻る