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成長の軌跡 STORY5

自殺を考えるポジション

命を見つめる視点を多く持つ

警視庁の自殺者の統計が公表された。
大学生の2010年の自殺者が倍増したことと就職難が関連していることがニュースとなる。考えさせられる。STORY4にも書いた通り、授業料の範囲で存在が認められていた状態から、就職することにより会社から「いらない」と言われることは、本人にとって相当ショッキングな出来事になる。まだ、会社という形でしか社会を認識できない大人になったばかりの認識では、会社からの拒否を社会からの否定と思い込む錯覚は相当強い。見通しが立たないことに焦りが募る。周りの人間は「就職先が見つかる事」を応援する。応援されるほどに、「就職先が見つからないあなたは存在してはいけない」と言われている感じがする。現実に存在しているのは就職先が見つからない自分なのだ。社会的にもよくない状態、「認められない」存在なのだと思ってしまう。「え、あいつが就職したって?」ノアの方舟に乗った奴に見えてしまう。俺はこのまま消えてしまった方がいい。こんな世の中に生まれてこなきゃよかった。そんなことならいっそのこと、、、書いていて、しんどくなってきた。もう無理だ。甘いものを食べよう。

ちょっと、他の話をしてみる。
ポジションという言葉を知っているだろうか?野球とか、サッカーとかチームで行うスポーツでよく使う言葉である。立ち位置というか、守備位置というか、そんなもの。心理の世界でもそのポジションという言葉が三つある。自分の人生において、自分の視点、自分の目から見ていくのが第一ポジションという。この文章を読んで欲しいなと思っている私自身の気持ち、これが第一ポジション。第二ポジションというのは、自分が関係している相手の視点をいう。この文章を読んで、どんな気持ちになっているであろうか?どのように理解したのだろうか?など、相手の視点になって考えるポジションが第二ポジション。そして、全く関係ない人が自分の光景を見てどう思うか、これが第三ポジション。私がカウンセリングをする過程でも、争いごとや、仲たがいなどの話には、ポジションチェンジを試すと、一人で和解ができたりする。

さて、就職難で自分の将来に悲観してしまっている方は、たまたま「就職」という現象の、特定の会社、自分が今現在イメージしている「就職先」に限って今の災難が発生している事に気付いていない。それは当然だと思う。自分に災害がおきて、心理的に正しく周囲を確認する手段をもっていなければ、どこでもこういう状態になると思い込むのは自然な事だと思う。第一ポジションは自殺まで思いつめた時、かなり局所的限定的な視野を持つものである。だからいけないとか言うのは簡単だが、そうなっている本人からしてみれば、見えている世界がすべてなのである。第一ポジションからはなかなか解放されない。

次に第二ポジションを考える。
ここでもかなり、情報の歪曲が進んでいる。親は子供が就職したいと思っているから励ましているだけなのだが、「就職できない息子、娘は存在してはいけない」と受け止めてしまう。友人から「大丈夫、就職できるから」というすごく楽天的な言葉を受ければ、「あの人にはなんでもないことが、私にはうまくできないのだろう?」と受け止めてしまう。そういう楽天的な境地に至った友人は実は当時見えない苦労をしていたかもしれないのに、本人が思い込んでいる情報だけが取り残され、他の事実が欠落してしまう。

最後に来るのが第三ポジション。
実は、このポジションからのメッセージが、自分が間違った価値観と命令を引き受けてしまって、そのエネルギーが捨てられずに自殺を考えるまで至ってしまった考えをリセットする力を持っていたりする。自殺の名所で巡回している人や命の電話のカウンセラーなど、第三ポジションから関係が始まっているのである。「他人だったら、このことや今の事をどう思うのだろう。」宗教を信じている人は、「神」という強力な第三ポジション(信仰している本人から言わせると第一ポジションだったりするのですが)の存在があったりする。一つだけ条件がある。それは、「自分に関心を持ってもらうことができる他人」である。何でもいい、自分に関心をもってもらえる自分から遠く離れた誰かだったら、今、思いつめている自分はどのように映るだろうか?

第三ポジションから自分を眺めてみるといい。
それでも変わらなければ、第三ポジションに偏った考えの自分自身が立ってしまっているのである。他人になりきれていないのである。そうなったら、実際に他人に見てもらおう。電話をかけて相談をするのだ。せっかく自殺まで思いつめているのに、検討が不十分だともったいない。

人は、いつか死んでしまうので、死ということに言葉をつけるのは難しい。
ただ、今、この瞬間思いつめている人もいらっしゃる。最後に伝えたいメッセージがあるので、頑張ってこのことに触れてみた。

自殺は行為である以上、人がある目的をもって行動した結果の「死」である。

自由な行動は尊重されるべきだが、この行動だけは大きな欠点があると思っている。それは、後から価値を検証できない事だと思う。自殺行為をした後、一年間ほど、検証期間があり、そのあと、本当に死ぬか現世に戻るか選べる
システムならばいいのだが、

自殺にはクーリングオフ制度がないのである。

偏った社会の見方、思い込みの価値観から自殺へ思い至るエネルギーを発生したとして、それを後から修正する手段も主体も失ってしまう。二年後の自分にインタビューすると、「いやーあのときは就職することでいっぱいいっぱいで周りが見えていませんでした。」などは、生きているからこそ言えることなのである。検証できない行為であるくせに、考え方の偏りや本人が無意識に引き受けてしまった信念など、修正すべきことがたくさん含まれた考えの結果で発生しやすい行為が「自殺」だと思う。

検証するべきことが多い行為が全く検証できないのは悔しいではないか!

だから、是非第三ポジションから今を眺めてみてほしいのである。

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